発散と収束。

INFPが自分の考えをまとめる為のブログ。INFPのライフハック https://note.com/ciaobanana

エシカルな買い物がしたいのに知識がない

参考記事: 黄身が濃い卵、殻が赤い卵 栄養価が高いは誤解

https://style.nikkei.com/article/DGXNASFK1000P_Q3A610C1000000/

 

まず私はエシカルな消費がしたいのだが、中途半端な意識と知識しかないため、スーパーで買い物をする時めちゃくちゃ迷う。例えば卵は平飼いが良いらしいけど、本音で言えば出来るだけ安いのがいい、とか思ってるとアンビバレントな気持ちの間で迷って中々選べない。しかも赤い卵とか白い卵とか、卵黄の色の濃さとか色々種類があって、結構値段も違う(200〜350円くらいまでの幅)。そもそも6個入りにしようかな〜10個入りにしようかな〜とかさえ迷う始末だ。

そして悩んだ挙句、半ばやっつけ気味で、黄身の色が濃い卵を買ってしまった。安めだったし、なんか栄養があるのかなという好奇心で(そのスーパーには平飼い卵と書いたものは置いていないようだった)。しかし、帰ってネットサーフィンしていた所、黄身の色の濃さは栄養とは全く関係がなく、鶏が食べた餌の色素によるらしい(冒頭の記事を参照)。パプリカとか食べるとオレンジっぽくなるし、米を食べると白っぽくなるらしい(黄身が白い卵というのがあって、白っぽい見た目の洋菓子とかに使われるらしい)。

 

黄身の色が濃いと栄養があるのではと消費者が勝手に誤解するので、そういう商品が生まれるそうな。それって、ベーコンとか肉類も同じですよね(確かひろゆきが言ってた)。赤く着色した方が新鮮で美味しそうな肉だと消費者が勝手に勘違いするから、本来は不要な添加物を使って着色している。自分自身が無知な消費者のうちの1人になってしまったことが悔しいし、でも正直スーパーで買い物してる時って献立とか他のことで頭がいっぱいで、エシカルな消費についてだけ考えていることが出来ない(主婦歴が長くなるとそういうことも考えられるんだろうか)。今日の所でとりあえず決めたことは以下。

①パッケージをよく読む。卵は賞味期限だけでなく産卵日が書いてあるものが良いらしい。

②宣伝文句に踊らされないで自分が必要なものだけ買う。

③出来るだけ添加物が少ない物を選ぶ。

 

実はこんなことは日頃から心掛けているので、何だか不完全燃焼だ。これからもうちょっとエシカル消費について学びたい。

9/5(日)やってみたいと思っていること

発散メモです。

 

■記事を書きたい内容(to think & write)

大坂なおみの話

大坂なおみPanasonicのCM「世界を 元気に。くらしを 理想に。」の長編を最近見た。「世界の不平等を見過ごすことはできない」というメッセージが、すごく理想家で、情熱的で、MBTIでいうNF型っぽいなあと思った。正直共感する。しかしYouTube動画見てたら、ネガティブな反応が多く押されていた。ネガティブな反応の理由を考察もしながら、大坂なおみさんのことをもっと知ってみたい。

https://youtu.be/J9dyH3u5VCI

 

・独り立ちすると、やっぱり家事>勉強になるなという話

生活を自分で回さなければいけないので、まともな生活をしたければ、やはり料理洗濯掃除は最低限のレベルでこなさなければいけない。すると必然的に優先順位は生活維持のための家事>自己研鑽になるな、と思った。主婦が自己研鑽の時間削られるのは分かる。家事を時短するための工夫(又は家事の知恵を仕事に活かすなどの複合的な活かし方はあるが)が必要になってくる。

 

・先輩が新入社員にした話が深かった
自分がやる仕事を選り好みしがちな態度の新入社員に対して、「大学の時はお金払ってサービスを受ける立場だったけど、会社ではサービスを提供してお金をもらう立場になる。会社がやって欲しい仕事をやるのは当たり前。」と説教した話。まあ自分が新入社員の時はそれは分かっていた気がするけど、振り返ってみると自分はどんなことを考えていたかな。

 

・食と倫理について考える

昼にハンバーガーを食べたのだが、提供されるまでの間お店に雑誌(フードカルチャー誌『RiCE(ライス)』)が置いてあったので読んでいた。巻末に、食と倫理について考える対談が載っていた。静岡大学の竹之内裕文さんという人が現代の食の倫理観について話していた。私自身はハンバーガーを食べるのを楽しみに待っていた訳だが、その対談をちらっと読んで「自分の快楽が誰かの苦しみに繋がっているのではないか」とか思った。ずっともやっと考えていたが言葉にしていなかったことだ。突っ込まれるのはめちゃくちゃ苦しいが、考えなきゃいけない段階に来ているのかもと感じた。そして自分に持続可能な努力としては何が出来るのか考えたい。(正直にいうと今の心情としては、平等の為に何かしたいが、美味しいものは今後も食べたい) 

気になる本:

『農と食の新しい倫理(昭和堂)』秋津元輝、佐藤洋一郎、竹之内裕文編著

『食べものから学ぶ世界史: 人も自然も壊さない経済とは? (岩波ジュニア新書 937)』平賀 緑著

←初めて図書館で予約した、社会福祉ありがたいと感じた。

 

■やりたいこと(to do)

・家でワカモレを作りたい

・気になる資格(簿記、整理収納アドバイザー、貿易実務検定)について、YouTubeで動画を見てみる

 

週末が終わってしまう、時間が経つの早いな!

総務部と主婦業を舐めくさる気持ちはどこからくるのか

大きめの会社は大体、総務を始めとした管理部門と、営業部門とで分かれているだろう。

 

総務蔑視ってあると思う。総務は基本的に社内の対応が多く、営業部隊みたいに社外を相手にしてリスクと隣り合わせで働くっていうことが自然と少なくなるので、「大したことない仕事をしてる部署」「精神やられた人が行く場所」みたいな扱いをされている場面を何回か見たことがある。

 

それって、家庭内の主婦業蔑視にも通ずるものがある気がする。主婦業は確かに、対外的なリスクは少ないかもしれない。しかし家族が快適に過ごせるように絶えず考え行動してくれることを、蔑視するのは間違っていると思う。そんなことを論理的に主張できるようになりたいな。

同性愛の見解について、エーリッヒフロムの見解に疑問

エーリッヒフロム著『愛するということ』より引用

===

男性と女性という二極性は、人間が人間を創造することの基礎でもある。このことは、生物学的には、精子卵子が結合して子どもができるという事実からあきらかだが、純粋に心の領域についても同じことがいえる。愛しあうとき、男も女も生まれ変わる(同性愛という逸脱は、この両極の合一の達成の失敗である。だから同性愛者は、解消されない孤立の苦しみを味わう。だが同性愛者だけでなく、愛することのできない異性愛者も同じ失敗をしている)。

===

フロムは同性愛者に反対だったのかと思って少しがっかりした。(フロムほどの人でも、その時代の常識の枠を超えて考えることはできなかったのだという軽いがっかり感)

 

私は『サピエンス全史』を著したユヴァル・ノア・ハラリ氏が書いていたことに共感する。人間に出来ること(同性愛含め)は、何でも自然なことであり、不自然なことというのは、人間側で決めたルールから逸脱しているというだけだと思う。

ルールは大切で、人間が社会秩序を形成し安全に効率よく生きていくために欠かせないものだから、これからも守っていきたい。しかし人間側で決めたルールの中で生きているだけだということにいつも気が付いていたい。

習近平氏の「共産主義革命2.0」とマルクス主義について考えた

中国で塾禁止令が出たと言うのを最近聞いたが、先日は新聞に「未成年ネットゲーム制限」と言う記事が載っていた。ゲーム会社に対して、未成年者のサービス提供は週末や祝日の夜8時から9時(時間帯まで決まっている)の1時間のみに制限せよという方針が打ち出されたらしい。勉強もゲームもしなくなって余った時間で何をするのか。思想教育をするのかな。

 

中国が変わってきている感じは、新聞で見る限りかなり感じる(中国は行ったことない)。最近習近平氏が発表した「共同富裕」と言う方針は、「①報酬②税金③寄付」を通じ所得の再分配を図るというものらしい。皆んなが豊かになれる社会というのは実は理想として共感するのだが、しかしこれは実際には強権化した政府に資産を差し出させたりとか、度を越した金持ち批判に繋がりそうだ。

 

習思想をちらっと覗き見すると、マルクス主義に共鳴しているらしい。マルクスは資本主義が抱える矛盾は社会主義革命を促し、共産主義に移行すると唱えた(らしい)。人類社会においては、冷戦で一度共産主義が敗北したものの、習氏は今の中国を導き再挑戦を試みているように見える。理想はいいのだが、現実にはまた人が血を流すようなことにならないといいなと思う。

 

カールマルクスが生きていたのは19世紀だというのに、21世紀になっても尚影響力を持っているのがすごいな。映画「マルクスエンゲルス」というのが気になっていたので、今度見てみたい。(でもあまり評価高くなかったから先延ばしにしていたんだっけな。見ないかも)

 

Bumpの藤くんはINFPの大成功者だと思う

INFPはクリエイティブな才能を伸ばせってよく言われますが現代の日本で言えばBump of Chickenの藤くんはその最たる例だと思う。


人間として生きていくことのめんどくささや辛さが描かれた歌詞や、寂しさを暖かく包み込む歌詞など、学生の頃から深く共感してきた。高いレベルで作詞作曲を続けられる才能が素晴らしいと思う。

 


ギルド 作詞作曲藤原基央


人間という仕事を与えられて どれくらいだ

相応しいだけの給料 貰った気は少しもしない


いつの間にかの思い違い 「仕事ではない」 解っていた

それもどうやら手遅れ 仕事でしかなくなっていた


悲しいんじゃなくて 疲れただけ

休みをください 誰に言うつもりだろう


奪われたのは何だ 奪い取ったのは何だ

繰り返して 少しずつ 忘れたんだろうか

汚れちゃったのはどっちだ 世界か自分の方か

いずれにせよ その瞳は 開けるべきなんだよ

それが全て 気が狂う程 まともな日常


美しくなんかなくて 優しくも出来なくて

それでも呼吸が続く事は 許されるだろうか

その場しのぎで笑って 鏡の前で泣いて

当たり前だろう 隠してるから 気付かれないんだよ

夜と朝を なぞるだけの まともな日常


愛されたくて吠えて 愛されることに怯えて

逃げ込んだ檻 その隙間から引きずり出してやる

汚れたって受け止めろ 世界は自分のモンだ

構わないから その姿で 生きるべきなんだよ

それも全て 気が狂う程 まともな日常

 


「生きる意味」とかについて考えていた高校生の頃、何度も繰り返し聞いたなぁ。ギルドみたいな暗い(ゆったりした)曲も好きだし、「天体観測」みたいな青春っぽい曲も好きです。INFPの心強い味方が藤くんだなぁと思います。奥さんを大事に思っている所もキュンです!

相手の言葉に違和感があった時は「それどういう意味?」とその場で聞いた方がいい

「相手の反応や言葉に違和感ある時、その場で言うか?」ということについて少し考えることがあった。相手の反応や言葉に違和感があっても、私は結構相手の気持ちや事情を考えてからとか思い、その場で言わないことが多い。しかしその場合、もやもやしたままその人のことをなんとなく苦手になるってことが多くなることに気がついた。例えば、覚えているのはこんなシーンだ。

 

大学に入り、新しい女友達とキャンパスを歩きながら雑談していた時のこと。出身高校の話をしていた。わたしが出身高校の名前を言うと、「それじゃあこの大学入るの大変だったでしょ。頑張ったんだね。」と言うようなことを言われた。私は「ん?(頭悪い高校から良く来たねってこと?失礼だな)」と思ったけど、正直相手がどんな気持ちで言ったのか考えているうちに時間が過ぎて、括弧部分は言えなかった。モヤモヤしたまま終わったけど、結局その子を心の中で恨むようになった。(今初めて認めるが、当時自分の中では寛容を意識していたので大したことない他人の自分に対する失礼な発言なんかはスルーするようにしていて、それが割とかっこいいと思っていた。しかし心の内を正直に述べるなら、今も恨んだままだ)

 

他には、会社の後輩にこんなことを言われたことがある。外国の会社と支払いで揉めていた時、私が「この件中々解決しないんだよね。電話しても相手の言ってること説明が要領を得ていなくて」と言った時、後輩が「英語力の問題ですかね?」と言った。私は「うん?(私の英語力の問題と言ってるのか、相手側の英語力の問題と言ってるのか?)」発言の意図が良くわからないなと思っているうちに時間が過ぎて、若干その子が苦手になってしまった。

 

MBTIに戻るのは若干しつこいかもしれないが、私はやはりINFP気質で、調和を求めすぎて自分にとって大事なことでも有耶無耶にしてしまっている時があるかもしれないと思う。でもその場ではっきりさせないとモヤモヤが残って悪く作用することもある。後からこの間のことだけど…って聞くのも良いけど難易度が高いので、出来るだけその場で聞いた方がいい。瞬発力が必要になるので、すぐには身に付かないかもしれないが、徐々に鍛えて出来るようにしたい。

 

ネガティブな意味と決め付けて聞くのは良くないと思うから、「うーん、それどういう意味?」と中立的に聞くのがいいかなと思っている。ただの誤解(こちらが繊細すぎるが故に)かもしれないし、相手が自分の持っていない視点から話しているかもしれないから、そこは擦り合わせをした方が、自分のために良いと思う。

 

私にとっては、聞き返すことは突っかかることのように思えて避けがちだったが、友人には「感じよくしてれば聞き返すことも攻撃的にならない」とのアドバイスも貰ったから、それでいこう。こういう風にしてちょっとずつモヤモヤを消して、次のレベルへ成長したい。