発散と収束。

INFPが自分の考えをまとめる為のブログ。INFPのライフハック https://note.com/ciaobanana

映画『サウンドオブメタル〜聞こえるということ〜』を観て

以前見ましたが…
金髪のリズアーメットがかっこよかった。

 

サンウドオブメタルってタイトルは、あの脳と繋げた装置から聞こえる音のことを指しているんだろうか?と映画好きな先輩が言っていた。

 

私は主人公とルーが組んでいたメタルバンドについて、その喪失感を指してサウンドオブメタルというタイトルが付いているのかと思っていたけど、先輩の方が良い解釈だと思った。あの金属音・機械音は独特だったな…

 

私が無知であの手術は空想のものかと思ったら、調べてみた所実際にあるそうですね。補聴器と人工内耳というのを付けているそうです。

 

ルーベンはあの機械的なガチャガチャ音よりは、結局静寂を選んだということで、あそこでやっと聞こえないことを受け入れられたのだと思う。その諦観と潔さが感じられる深いエンディングがとても良かった。

それぞれの処世術と戦略について

職場で身近にいる人と自分の違いについて考えていた。生き方の戦略の違いがあると思った。(生き方の戦略って言うと大袈裟で、ただ他に上手い表現が見つからないのだが、それぞれの人の長所を活かして編み出した処世術みたいなものがあると思う。それが人によって違うと言う点について話したい)

 

自分の戦略としては、相手の懐に入って(共感性を発揮して取り入る)、自分の意見を通せる素地を作る、って言う感じかなと思った。無意識だが多分そう動きをしていると思う。

 

ちなみにこの「相手の懐に入る」は、自分の言葉ではなく、他の人が使っていて印象に残った言葉だ。就活の時に一緒に面接を受けた女の子が自分の強みとして言っていたのだが、「私の得意なことは相手の懐に入ることが出来ます」って大っぴらに言うのはあまり印象良くないなと思ったのを覚えている。客観的に見てそうだとか、他の人に「懐に入って好かれることが得意だよね」と言われるのは良いけど、自分で使う言葉じゃないのかなと思う。(他人が使う言葉であって、自分で使う言葉じゃない、という話は根深そうなので別の記事で掘り下げたい)別にブログで使っても誰も気にしないだろうし、とりあえず他にいい言葉が見つからないのでこの言葉を使っている。

 

異なる意見と遭遇した時、私は真正面からぶつかって、相手を降伏させるほどの説得力を持っていないという自覚がとてもある。正面衝突しても勝てるような、説得力じゃなくても権威を利用するとかいじめるとか含め何らかの力を持っている気がしない。だから真っ向から反発はしないようにしている。(傷つきたくない)

だから私がやるのは、コミュニティの中に入り一旦受け入れられてから、意見が受け入れられる・信頼される素地を作った上で、色々意見を言うのがまあベターかなと思ってやっている。そうでないと中々受け入れられないのではないかなと思う。(まあ大体の人が取る方法がこれか)

 

ただそれだと信頼を築くために時間が掛かるので、即効性を求める人・早く状況を変えたい人には向かない。戦略は本当に人それぞれだと思う。私はとりあえず今はそんな考え方で、まずは職場で信頼を築こうとしている。

 

では、信頼を築いて何を成し遂げたいと思っているのだろうか。自分のことながらわからないので掘り下げる。すっごく先の崇高な理想としては、夢物語だが正直に言うと「皆が幸せに生きれる社会」というのがある。

 

ブレイクダウンすると、「みんなが能力・個性を発揮しつつ、優しいけど抜けてる人(のび太君みたいな人)も安心して生きていける社会」にしたい。

 

更にブレイクダウンしてみて、自分の今の会社に置いてどうしたいかと言いうと…社員みんなが短い時間で高い給料貰えるようにしたいかな。短い時間で働ければ、余暇に好きなことが出来てライフが豊かになると思うので。(家族との時間や、趣味や、自己研鑽のために時間を使える)あと個人的には、仕事を通じて成長したい。幅広く深い知識を身につけたり、人間的に大きくなりたい。

 

その為に何が出来るかというと…まず、テキトーな働きをしないって言うのはあるのかな。効率よく正確性をもって働くことで、余計なエネルギーや経費を減らして、短い時間で売上を多く上げることができる。

 

ただ効率化する中で、不幸せが起きちゃったら、幸せを手に入れることを目指しているのに、不幸になっているってことだと思う。私の職場の今のリーダーがやっていることは、幸福を目指して不幸を生み出していることが多い気がする。そこ止まりの人間だということだと思った。(嫌味と皮肉を言いたかった)

 

仕事だけでなく普段成長のためにできることとしては、一つはブログで気持ちを言語化することは役に立っているかなと思う。普段色んなこと考えていると物事への反応が深く早くなるし、「もっと色んなこと感じているのに上手く言語化出来ない」という悔しさを少しは解決できる一つの方法になると思う。

 

内容がバラバラしたが、一旦今日考えたことはここまでで締めたいと思う。また深めたら続き書きます。

映画『ラストナイト・イン・ソーホー』を観て

『最後の決闘裁判』といい今作といい、女性軽視への社会的な贖罪みたいな映画を、男性監督が作ることが続いているなと思った。

(『スキャンダル』とか『プロミシング・ヤング・ウーマン』みたいなストレートなフェミニズム作品もパッと頭に思い浮かんだから、フェミニズムを扱った作品は最近やはり多いですね。)

 

ホラーって聞いていたけど、内容的にフェミニズム的な感じなのかなと思ったので、1人で見に行ってもいいかなと思って行ったのだが、まあ結果的に割と大丈夫だった。

 

それよりも映画の最初に注意書きが表示されたけど、ネオンやパラボラの光がかなり刺激的で、それによる目の疲れの方がダメージあったかも。エドガーライト監督っぽい色使いでお洒落で良いんですが。

 

あらすじは…勘のいい人はオチが読めそうでもあるけど、私は全然気が付きませんでした。

 

サンディーが新しい男に自己紹介するたびに、心が廃れていってしまうのが見て取れて辛かった。望まない性行為はそりゃ心の傷になるし、信じた男から自分が、金を産出するために扱われてるとしたら、虚しさと怒りが蓄積してあれ程の行為になるのも分かります。怖いけど。

 

ダウンタウンとかエロイーズって曲、また検索して聴きたいけど、色々なシーン思い出すのが怖くて聴きたくないって感じ。曲とか曲名に対して若干トラウマが身に付けてしまいました。

 

映画の最後は、お婆ちゃんに「誰かに頼らなきゃダメ」と言われた通り、ジョンに頼ったからエリーは生き残れた。良かったなぁって思いました。そもそも優しいジョンの存在が、社会が違う方向に向かっているという希望を感じさせてくれていました。

感情重視(Fi)の性質は変えられないことに気づいた

感情に基づいて判断する性格(Fi)を変えたいと思っても、自分には出来ないことだと悟った。

 

少し前まで、Teとか論理に基づいて判断をするようになりたくて、頭の中で色々こねくり回して考えていた。しかし一方でもはや反射的に、何かあるとすぐに心が揺れ動く自分の内面に気がついた。これは友人とのLINEに、自分の考え事とか悩みをTwitterレベルでシェアするようにしていたら、とても些細な出来事で、頻繁に、心が動揺していることが分かった(一種の認知行動療法みたいな効果があったかも)。

 

もはや自分は感情が強過ぎて、それを活かしていくしか道はないように思う。他人の気持ちを自分ごとのように考える、それはいいが、でもそれは何に活かせるだろう?

 

人に共感性を持つことは確かに割と出来るし、どちらかと言えば得意な方だとは思う。しかしそこに留まらず、問題解決に向けて動けるようになるとか、共感性を活かせるようになりたい。

感情への配慮、真実の追求、どちらを優先するか

感情への配慮を優先するか、真実の追求を優先するか、どちらが良いかよく考えている。世間話の中で具体例を見つけたから書きます。

 

衆院選の投開票があった10/31、TBS系選挙特番で爆笑問題の太田さんが、政治家の二階さん(82)に「いつまで政治家やるんですか?」と聞いて二階さんが不快がる場面があったらしい。その後太田さん方面で若干炎上したんだそう(失礼だということで)。

 

ひろゆきが切り抜き動画の中でその話をしていたのだが、彼は本件では太田さんと同意見で、発言の何が悪いかわからないとのこと。太田さん&ひろゆき側と、二階さん側で、以下のような二種類の考え方がある気がする。

 

・相手を不快にしてはいけない(真実を明らかにするより感情的な配慮を重視する)
この考え方がだと二階さんをジジイ扱いして失礼すぎるんじゃないか?ってなるかも。二階さんの功績への配慮なども入る余地あり。

 

・真実を追求するべき(人の気分を害したり傷つけるとしても真実を追求する)
この考え方だと太田さんやひろゆきみたいになると思う。本件の場合は、10年後位に死ぬ人が政治やっても未来に責任持つ必要がない、死ぬんだから。そうではなくてもっと未来ある若い人が政治家をやるべき、という考えがあるみたい。

 

私は、本件は政治家についてだし二階さんに特別な思い入れないがないこともあって(これこそ私の感情だが)、真実の追求で良いと思うが、身近な話題になると、前者の感情への配慮を重んじて考えたり行動してしまうかもなと思った。

 

感情重視ならそれも自分の個性だと最近は思い始めているので、ただ真実を追求する視点も忘れないようにして、両者を検討して選択できるようでありたいなと思う。

ハイパーメリトクラシー(超業績主義)

学齢主義を通り越して、コミュ力や問題解決能力や見た目も気にされるハイパーメリトクラシーという社会なのかもしれない、現代は。

 

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ハイパー・メリトクラシー (Hypermeritocracy) とは、教育学者の本田由紀による造語で、あえて日本語に訳すと「超業績主義」を意味する。日本の近代社会は、学歴をはじめとする手続き的で客観的な能力が求められてきたという意味で、メリトクラシー的であった。それに対して、今日では、コミュニケーション能力をはじめとする独創性や問題解決力などのような、より本質的で情動に根差した能力が求められるポスト近代社会に移行しつつある。そのような社会をハイパー・メリトクラシーと呼んでいる。

(Wikipediaより引用)

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わたしはのび太くんみたいな人優しくて鈍臭い人が幸せに生きていける世の中であってほしいなと思う。(自分もそちら側なので)

能力ない人も適した仕事して4-500万円くらい貰って生きられるようになってほしい。ベーシックインカムの考え方とも近いのかな。考えを深めたい。

自分の中にある全体主義

アベプラで、若新さんが全体主義についてこんなこと言ってた。


例) 看護師が夜勤断った時
日本-全体主義寄り: 翌日菓子折り持って謝る
アメリカ-個人主義寄り: 堂々と休む

 

以前INFPの友人と話していた時、彼女が全体主義的なものに強い危機感を感じていることを知った。自分はと考えてみたとき、正直自分は結構全体主義的な思考をしていることがあるなと思った。

 

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ぜんたいしゅぎ

全体主義
全体の利益を第一とし、個人の価値は全体に奉仕する点でだけ認める(政治上の)主義

(以下wikipediaより引用)

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休むと申し訳ないとかいう感覚は、昭和っぽい感覚なのかなと思っていたけど、更に言うと全体主義的なものなのか。そういうのって日本で真面目に育ってきた人ほど持っていると思う。例に漏れず、私もそのような感覚を持ってしまっている。

ただ全体主義的な思考の弊害って大きいと思うし、世の中から減らしていきたいですよね。