発散と収束。

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「寄り添い」について

「寄り添う」って言葉は、最近"笑"って感じになっていると感じる。友人と話しながら、なせポジティブ・ネガティブなイメージがあるかなど考えてみた。

結論に近いところから言うと、①本当に相手の気持ちを理解しようとする態度(これが本来の意味)、②相手を良い気にさせるため、表面上おべっかや共感の態度を示す の2つがあると思う。

①は良いことだけど、気持ちの共有だけではダメで、具体的な対策が無いと何も進まないと言うことを揶揄したくなる人が、②の冷笑的な態度を取るんだと思う。なので、①の態度をとりつつ解決に努めることが大切ですね。

あと断定的に言うと、Tみの強い(Fが圧倒的に低い)人は、「寄り添い」とか「共感」をせせら笑うイメージがある…これは勿論偏見なので言いながら反省していますが。

<具体例1>

「寄り添い」と言う言葉の扱われ方に関する不穏な雰囲気については、最近常に心の中にあったが、考え始めたきっかけは5年くらい前、勤めている会社での出来事だ。
取引先に、ヒステリックめで取扱注意な女性がいた。それを私の会社の男性が社内でいじっていて「寄り添い営業をしなきゃ笑」みたいな話をしてたのが耳に入ってから、寄り添いという言葉について引っかかっていた。せせら笑っていたら感じがあって。

<具体例2>

あと具体例2つめはこんなのもあるかな。

友人の子どもがあまり寝ないらしく、近所で「ネントレ」のお話会に参加したらしい。その時の話を、友人と私と私の夫が居る場でして、以下のような会話になって私の中に幾許かの蟠り(わだかまり)が残った。

友人「結局つらい気持ちを共有するだけで、具体的な対策は聞けなかったんだよね〜」

夫「ああ〜アメリカのグループカウンセリングみたいな感じ?笑」

私「ああ〜薬物とかアルコール中毒の人とかが集まってやるやつあるね笑」(Nみで2つの出来事に類似性を感じ取り、想像を具体化させることを楽しんだ)

友人「そうそう笑」

みたいな会話になって。後から、気持ちの共有だけでも私は助けられる時があるなと立ち返って思い。揶揄する側の立場になってしまったことが心地悪かった事を今でも覚えている。大した事じゃないし、あと夫はこんなに気にしないんだろうな〜とかは思った。

でも同時にやはり、気持ちの共有だけではダメで、具体的な対策が無いと意味ないよな(何も進まない、何も残らない)とは思う。Fみで共感した後、Tみで解決していこう!!